かつては日本の九州とほぼ同じ面積を誇り、豊かな漁業で周辺住民の暮らしを支えていた。だが、旧ソ連時代の1960年代から始まった大規模な綿花栽培のための灌漑事業が、運命を狂わせた。注入元であるアムダリア川とシルダリア川の水が大幅に引き抜かれた結果、水位は劇的に低下。湖は南北に分裂し、その面積は全盛期の10分の1近くまで縮小した。
塩分濃度は海水をも遙かに超えるレベルまで上昇し、固有の魚類はほぼ絶滅。活気に満ちていた漁村は一夜にして砂漠の真ん中に取り残された。残されたのは、塩分と過去数十年の肥料・農薬が濃縮された広大な乾いた湖底だけだった。