なぜ「大日映画」という存在がこれほどまでにドラマチックなのか。その答えは1950年代末から1960年代初頭の映画界の力学にある。当時、映画館の観客動員数がピークを迎えつつも、テレビの普及という巨大な波が押し寄せていた。
そこで手を組んだのが、文芸作や世界的名作を連発していた大映株式会社と、若者文化を牽引していた日活株式会社である。両社は既存の映画配給業におけるブロックブッキング制に対抗し、興行網の効率化と作品の相互供給を目的として共同配給会社を立ち上げた。スタジオの垣根を越えた連携は、当時の日本映画産業における極めて画期的なビジネスモデルであり、映画史に残る試みであった。