日常会話において「忘れた」と一言で片付けられる現象ですが、学術的な忘却の心理学的メカニズムを紐解くと、いくつかの異なるプロセスが存在します。心理学において忘却とは、一度獲得・記銘された情報が、時間の経過や他の刺激の影響によって再生(想起)あるいは再認できなくなる現象を指します。
ここで整理しておきたいのが、日常で頻発する物忘れと忘却の違いです。「物忘れ」の多くは、一時的に脳内の引き出しから情報を取り出せなくなっているレトリーバル不全(検索失敗)の状態を指します。記憶のデータ自体は脳の長期記憶領域に格納されているものの、アクセスするための「インデックス(検索キー)」が見当たらない状態です。「喉元まで出かかっているのに思い出せない」という現象がこれに該当します。
一方、純粋な忘却は、情報そのものの痕跡が薄れるか、構造自体が再編されて失われるプロセスを含みます。日本語における忘却の類語と意味の違いを比較しても、その機微がよく分かります。
たとえば「失念」はうっかり抜け落ちたビジネス上のミスを指し、「健忘」は医学的な記憶障害のニュアンスを含みます。また「忘失」は記憶のみならず実体のある物を失う文脈で使われます。心理学が対象とする忘却は、単なる不注意や病変にとどまらない、人間の情報処理機構そのものに組み込まれた基本特性なのです。