1999年8月13日、熱帯低気圧が接近する中、神奈川県山北町の玄倉川中州に設営されたテント。そこには同じ職場の仲間やその家族が集っていた。周囲が不穏な雲行きに包まれる中、上流にある三保ダムの放流予告サイレンが渓谷に鳴り響く。水かさはじわじわと増していた。
最初の異変は夕刻だった。ダム管理職員や警察官が現場を訪れ、避難を促す。だが、宴会を続けていたグループは警告を軽視し、退去要請を突っぱねた。夜が深まるにつれ、雨脚は猛烈な勢いとなり、川は濁流へと豹変する。翌14日未明には中州が完全に水没し、膝上まで水に浸かったテントの周りで孤立する事態へ発展した。行政や管理者の必死の呼びかけが、なぜ届かなかったのか。自然に対する根拠のない過信と集団心理が、退路を断つ引き金となった。