発見発表の直後、中国国内外の考古学界やメディアでは「曹操の墓は本物か偽物か」という激しい論争が勃発しました。「地方政府が観光開発を目的に仕掛けた捏造ではないか」「伝説の七十二疑塚の一つに過ぎないのではないか」といった懐疑的な見方が噴出したのです。
この真贋論争に決定打を与えたのが、墓内から出土した計8点の銘文石牌でした。そこには明確に「魏武王常所用挌虎大戟(魏の武王が常に愛用した虎を打つ大戟)」や「魏武王常所用挌虎短矛」という文字が刻まれていたのです。
「魏武王」という称号は、曹操が亡くなった西暦220年正月に諡(おくりな)され、同年の秋に息子の曹丕が皇帝に即位して「武皇帝」と改めるまでのわずか数カ月間しか使われていません。この極めて限定された称号が刻まれている事実は、後代の偽造では説明がつかず、曹操の墓であることを裏付ける決定的な証拠となりました。その後の地層分析や周囲の年代測定からも、後漢末期から三国時代初期の遺構であることが完全に証明されています。