ハマコーこと浜田幸一氏は、1928年(昭和3年)9月5日、千葉県君津郡青堀町(現在の富津市)に生まれました。若い頃は破天荒な生活を送り、日本大学農獣医学部中退後、地元で青年団活動などを経て政界へ進出。町議会議員、千葉県議会議員を務めた後、1969年の第32回衆議院議員総選挙で自民党公認として初当選を果たしました。
議員就任後は自民党若手強硬派の集団「青嵐会」の結成に参画し、武闘派・行動派として党内での地歩を固めました。通算で衆議院議員当選7回を数え、防衛政務次官や衆議院予算委員長などを歴任。派閥抗争が日常茶飯事だった昭和の自民党において、身体を張って党を守る「汚れ役」「突破役」を一手に引き受けた稀有な政治家でした。
政界引退後は、バラエティ番組『ビートたけしのTVタックル』や『サンデージャポン』などのテレビ出演で再ブレイクし、Twitter(現X)をいち早く導入して数十万人規模のフォロワーを獲得するなど、平成後期の若者層からも親しまれました。晩年には2010年に背任容疑で逮捕されるという波乱もありましたが、2012年(平成24年)8月5日、富津市の自宅で心不全のため83歳で死去しました。波乱に満ちた生涯を駆け抜けた最期は、多くの国民と政界関係者に惜しまれました。