プロ野球最短試合時間歴代記録の頂点に君臨するのは、終戦の翌年である1946年7月26日、西宮球場で行われたパシフィック(現・千葉ロッテマリーンズの系譜)対太陽ジュピターズ(のちの松竹ロビンス)の一戦です。スコアは1対0。パシフィックが勝利を収めたこの試合の所要時間は、驚愕の55分でした。
「途中で大雨が降ってノーゲームやコールドになったのではないか」と疑う声も少なくありませんが、正真正銘、両軍が9回27個ずつのアウトを取り合って成立した公式記録です。当時の公式スコアシートや球団史の記述を掘り起こすと、現代の野球観戦からは想像もつかない極限の試合環境が浮かび上がってきます。
なぜわずか55分で試合が成立したのか。その決定的な理由は主に3つ存在します。
第一に、「投手が捕手から返球を受けた瞬間、すでに次の投球モーションに入っていた」というテンポの速さです。当時のパシフィック先発・湯浅禎夫兼任監督、太陽の先発・松井信勝の両投手は、サインの確認すらほとんど行わず、捕手が構えたミットへテンポよく投げ込み続けました。投球間隔はわずか数秒で、打者も打席を外して足場を均すような仕草を一切見せませんでした。
第二に、「極度の貧打戦と早打ち」です。当時は物資不足の混乱期であり、使用されていた公式球は粗悪な再生ゴムや粗末な糸で巻かれた極めて飛ばないボールでした。打球が外野へ飛ばず、打者は初球や2球目を積極的に打ちにいっては内野ゴロや凡フライを量産。両軍合わせて放った安打はわずか数本にとどまり、四死球は両軍合わせてゼロでした。
第三に、「審判と選手全員による意図的な迅速進行」の存在です。当時はダブルヘッダー(同日2試合開催)が組まれており、当試合はその第1試合でした。日没サスペンデッドを避け、第2試合を確実に消化したいという両ベンチと審判団の暗黙の利害が一致した結果、驚異的なペース配分が生まれたのです。