ジミー大西という稀代の異才を語る上で、決して切り離せないのが明石家さんまとの関係です。二人の関係性は、芸能界における単なる「先輩と後輩」や「師匠と弟子」の定義を遥かに超えています。
吉本興業の裏方(舞台進行係)として劇場に出入りしていた若き日の彼を運転手兼付き人として拾い上げ、「ジミー」という芸名を授けたのはさんまでした。言葉の使い間違いや奇想天外なミスを連発する彼を叱責して排除するのではなく、そのズレを「極上の笑い」へと昇華させ、世の中に紹介し続けたのがさんまという稀代の司会者でした。
画家引退の危機に直面した際、彼を救ったのもまたさんまでした。手記や当時の対談番組によると、絵が描けなくなり借金と精神的プレッシャーで追い詰められていたジミー大西に対し、さんまはこう言葉をかけたと伝えられています。
「お前、絵を描くのが嫌になったんやったら、もうやめてまえ。また芸人やって、飯食うたらええねん」
世間が「世界的画家」としてもてはやす中、さんまだけは彼の本質的な脆さと人間性を最初から見抜いていました。芸人としての居場所を用意し、無理に絵を描かなくても生きていける環境を整えたことで、皮肉にもジミー大西の肩から重圧が消え去りました。安全基地(セーフティネット)を取り戻したことで、数年のブランクを経て「また絵が描きたい」という原初の衝動が奇跡的に蘇ることになったのです。