日本サッカーがアジアの頂点から世界基準へと脱皮を図る過渡期において、左足一本でゲームのテンポを支配したのが名波浩だった。卓越した戦術眼と正確無比なパスワークで中盤に君臨し、2000年のAFCアジアカップでは圧巻のパフォーマンスで大会MVPを獲得。トルシエ体制下で「名波のチーム」と称されるほど絶大な影響力を誇り、ゲームを組み立てる司令塔としての10番像を決定づけた。
そのバトンを受け継ぎ、世界中にその名を轟かせたのが中村俊輔だ。セルティックで伝説となった欧州CLでのフリーキックをはじめ、彼が放つ美しい放物線は国際舞台の空気を一瞬で変える魔力を持っていた。しかし、その華やかさの裏で背負った重圧は凄まじかった。自国開催の熱狂からドイツでの失意、そして南アフリカ大会での戦術変更による葛藤。孤高の天才が背負い続けた10番の重みは、スポーツジャーナリズムの世界でも今なお深く語り継がれている。