近畿地方を中心に発生したこのデザインは、やがて九州から東北地方南部にかけて急速に広がっていきました。これは単なる流行ではありません。中央のヤマト王権が、地方の有力豪族に対して「同じ形の墓を作る権利」を与えることで、同盟関係を結んでいたことを意味します。現代で言えば、巨大なフランチャイズ展開のようなものです。
地方の首長たちは、こぞってミニチュア版の鍵穴墓を築き、自らの権威を誇示しました。しかし、そこには厳格なルールが存在したようです。中央の王を超える大きさのものは決して作らせないという、冷徹なヒエラルキーがデザインのスケールによってコントロールされていました。