そもそも「お台場」という地名は、行政上の正式名称というよりも、幕末の国防遺構に由来する歴史的呼称だ。時計の針を1853年の黒船来航まで巻き戻すと、その原点が見えてくる。
ペリー率いるアメリカ艦隊の威圧に直面した江戸幕府は、急遽江戸湾の海上防衛体制を構築することを迫られた。そこで伊豆韮山代官であった江川英龍が提唱したのが、海上に人工の島を築いて砲台を設置する「台場」の建設計画である。短期間の突貫工事で品川沖に第1台場から第6台場などが次々と築かれ、庶民は幕府への敬意を込めて「お台場」と呼ぶようになった。
激動の近代化とともに多くの砲台は撤去や埋め立てに飲み込まれたが、第3台場と第6台場は国の史跡として現代に姿を残す。特に第3台場は整備され、現在もお台場海浜公園に隣接する形で市民の憩いの場として親しまれている。防衛の最前線だった砲台跡が、今や世界中から人々が集まるベイエリアの象徴となった歴史の皮肉は実に興味深い。