笠原十九司氏の名を一般に決定づけたのは、1997年に刊行された新書『南京事件』(岩波新書)です。同書は累計数十万部を超えるロングセラーとなり、日中戦争論における基本文献の一つとして広く読まれました。
日本国内における南京事件論争は、長らく大きく3つの潮流に分類されてきました。
- 大虐殺派(笠原十九司氏、洞富雄氏、藤原彰氏ら):軍の組織的指示や統制の崩壊、治安戦の過酷化を重視し、被害者数を10万人から20万人以上(広義の南京作戦地域・一定期間内)と推定する立場。
- 中間派(秦郁彦氏ら):軍の違法行為や不法殺害の存在は明確に認めるものの、便衣兵の処刑や戦闘中の死者を虐殺の定義から厳密に区別し、被害者数を約4万人(概数)と推定する立場。
- まぼろし・否定派(田中正明氏、東中野修道氏ら):組織的な虐殺は存在せず、中国側のプロパガンダや合法的な戦闘行為に過ぎないと主張する立場。
中でも、現代史家・秦郁彦氏との論争は「南京事件論争の天王山」として学界内外で激しく戦わされました。両者の議論の核心は、単なる死者数の数字争いではなく、「どのような行為を虐殺(不法殺害)と定義するか」および「事件の地理的・時間的境界線をどこに引くか」という史料解釈の根幹にありました。
笠原氏の論理的支柱は、日本軍が南京を包囲・占領した際、補給を無視した作戦計画(現地徴発=略奪の常態化)を敷いていた点にあります。そこから生じた組織的な軍紀の弛緩、捕虜虐殺、敗残兵摘発という名の民間人無差別殺傷を「構造的な暴力」として捉えたのです。これに対し秦氏は、数字のインフレ化を強く戒め、確実な記録に基づく最小限の数値算出を主張しました。この両者の論争は、単なる歴史の争いを超え、日本の近代史研究がどれほど緻密な史料批判を要求されるかを示す学術的ランドマークとなりました。