ネット上で頻繁に検索される一条ゆかりの引退理由ですが、本人は公式に「引退宣言」を打ち出したわけではありません。2010年にオペラ界の愛憎劇を描いた大作『プライド』を完結させて以降、本格的な長編ストーリー漫画の連載を行っていないことから、事実上の引退状態と受け止められています。この休止の背景には、漫画家としての矜持と、直面した病気との過酷な闘いがありました。
最大の要因となったのが、40代の頃から兆候が現れていた「緑内障」の進行です。緑内障は視神経が障害を受け、視野が徐々に欠けていく不可逆的な眼疾患です。漫画家にとって視覚は命そのものであり、ミリ単位のペンタッチや背景の精緻な描き込みが生命線となります。一条ゆかりは自身の著書や手記のなかで、右目の視野の大半が失われ、線の歪みを補正しながら執筆を続ける過酷さを赤裸々に告白しています。
加えて、長年の激務に起因する腱鞘炎や重度の腰痛、過去に患った悪性リンパ腫の治療など、肉体はまさに満身創痍でした。『プライド』の連載終盤には、「プロとして納得のいく完璧な原稿を描き上げることが体力・視力的に限界に達した」という切実な限界点に達していたと語られています。単なるモチベーションの低下ではなく、「読者に最高峰のクオリティを届けられなくなるなら、自ら幕を引く」という、一流表現者ならではのプライドが長編執筆からの撤退を決断させたのです。