事故発生当時、事故原因の究明は行政や事業者内部の意向に大きく左右されていた。富久信介が突きつけた客観的検証データは、営団上層部のみならず、旧運輸省(現在の国土交通省)の官僚組織とも真っ向から衝突することになる。自保的な論理に傾く組織の中で、一人の技術者が孤立無援の検証を貫くことは並大抵の苦難ではなかった。
この凄絶な葛藤と徹底的な調査報道が引き金となり、日本における第三者主導の安全検証機関の設立を求める世論が一気に高まった。その結果、従来の枠組みを改め、常設の独立調査機関である鉄道事故調査委員会(現在の運輸安全委員会)が誕生する直接的な契機となったのである。富久信介の孤高の闘いは、国家の事故調査システムそのものを変革させた。