兵庫県神戸市灘区篠原本町に山口組が拠点を構えたのは、昭和の高度経済成長期に遡る。三代目組長・田岡一雄の時代、この地は組織の全国拡大を指揮する絶対的な司令塔として機能していた。当時の本部は単なる事務所にとどまらず、政財界や芸能界との交錯、地方組織の統制など、昭和のアングラ史を象徴する数々のドラマの舞台となった。
時代が下り、六代目組長・司忍の体制へ移行すると、本部の果たす役割と置かれた環境は劇的に変化した。暴対法や暴力団排除条例の強化に伴い、かつての「威圧感の象徴」は、警察当局による徹底的な規制の標的へと変わっていく。田岡時代に築かれた伝統的な任侠のレトリックと、現代の法規制の中で苦闘する司忍体制。篠原本町の歴史は、日本社会における暴力団の変容そのものを映し出す鏡と言える。