独ソ戦はなぜ起きた?不可侵条約破棄の真相と泥沼の敗因を徹底解説

独ソ戦はなぜ起きた?不可侵条約破棄の真相と泥沼の敗因を徹底解説

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モスクワ奪取に失敗したドイツ軍は、翌1942年の夏季攻勢において目標をソ連南部の資源地帯へと変更します。作戦の焦点となったのが、ヴォルガ川沿いの要衝であり、指導者の名を冠した工業都市「スターリングラード(現ボルゴグラード)」でした。

1942年8月から始まったこの戦いは、人類の戦史において最も凄惨な市街戦となりました。廃墟と化した工場やビル、瓦礫の一角を巡って双方が兵力を注ぎ込み、建物の部屋ひとつ、階段ひとつを奪い合う「ネズミ戦争」と呼ばれる超近接戦が繰り広げられました。ヒトラーは自尊心から都市の完全占領に固執し、スターリンもまた「一歩も退くな」という死守命令(第227号命令)を下して徹底抗戦を命じます。

激戦が続くなか、ソ連軍は秘密裏に大規模な反攻作戦(ウラヌス作戦)を準備していました。11月、手薄だったドイツ軍の側面を守るルーマニア軍部隊を強襲・突破したソ連軍は、市街戦に釘付けになっていたフリードリヒ・パウルス大将率いるドイツ第6軍約30万人を完全に包囲することに成功します。

空輸による補給計画の失敗、救援部隊の挫折を経て、極寒と飢餓に追い詰められた第6軍は、1943年2月に降伏を選びました。捕虜となったドイツ軍将兵のうち、生きて祖国へ帰還できたのはごく一部にすぎませんでした。スターリングラードでの壊滅的敗北によって東部戦線の主導権は完全にソ連へと移り、大戦の潮流そのものが逆転した瞬間でした。

中島 亮太
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中島 亮太

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