歌舞伎ファンのみならず一般の観客からもよく投げかけられるのが、「中村米吉と中村隼人はどんな親戚関係なのか?」という疑問です。浅草歌舞伎などで共演を重ね、息の合った掛け合いを見せる2人ですが、その血縁関係は「はとこ(再従兄弟)」にあたります。
このつながりを理解するためには、昭和の演劇史を揺るがした「小川家」の歴史的ルーツを知る必要があります。米吉の祖父である四代目中村歌六(二代目歌昇)と、隼人の祖父である四代目中村時蔵は、三代目中村時蔵の長男と次男であり、実の兄弟でした。つまり、米吉の父(五代目歌六)と隼人の父(二代目中村錦之助)は実の「従兄弟(いとこ)」同士なのです。
ではなぜ、血を分けた一族でありながら米吉は「播磨屋」、隼人は「萬屋」と屋号が分かれているのでしょうか。
昭和40年代、時代劇映画の大スターであった萬屋錦之介(初代中村錦之助)を中心とする小川一族は、興行界の荒波の中で結束を強めるため、先祖のルーツであった「播磨屋」から分派する形で「萬屋(よろずや)」の屋号を創設しました。当時の小川一門の多くが萬屋へと移行しました。
しかしその後、古典歌舞伎の精神に立ち返り、父祖ゆかりの芸を継承する強い意志のもと、五代目歌六と弟の三代目又五郎は「播磨屋」へ復帰。一方で、二代目錦之助や五代目時蔵(現・中村萬壽)の一門は「萬屋」を名乗り続けました。こうした歴史的背景から屋号こそ異なっているものの、米吉と隼人は同じ祖父世代の血を受け継ぐ、極めて近い親族なのです。