特攻の不条理に真っ向から技術と信念で抗い続けた象徴的な人物が、陸軍第4航空軍・万朶隊(ばんだたい)の操縦士であった佐々木友次伍長です。佐々木氏はフィリピン戦線において、実に9回の出撃を行いながら9回とも生還を果たしました。
佐々木氏が体当たりを拒否した背景には、万朶隊の隊長であった岩本益臣大尉の教えがありました。岩本隊長は「特攻は統率の外道。爆弾を命中させて生きて帰り、何度も敵を叩くべきだ」と佐々木氏らに説き、急降下爆撃の技術を徹底的に叩き込んでいました。
1944年11月、初出撃した佐々木氏は敵艦に爆弾を命中させた後、命令された自爆をせず見事に生還します。しかし、大本営はすでに出撃者全員を「軍神」として戦死公表していました。死んだはずの兵士が生きて戻ったことに激怒した第4航空軍参謀らは、佐々木氏に対して「次は必ず死んでこい」と執拗に出撃を命じます。
それでも佐々木氏は屈することなく、機体の不調を見極め、戦況を冷静に判断して帰還を繰り返しました。参謀からの罵倒や脅迫を受けながらも終戦まで生き抜いた佐々木氏の行動は、無謀な精神主義に対する合理的な軍人の戦いであったと現在高く再評価されています。