当時の報道陣や大蔵省(現財務省)・通産省(現経済産業省)の元官僚たちが残した手記には、田中角栄という政治家の圧倒的な推進力と、その裏で進行していた政策決定の歪みが克明に記されています。
「コンピューター付きブルドーザー」の異名をとった田中角栄は、膨大な官僚機構のデータをすべて頭に入れ、即断即決で予算を配分していきました。当時の首相秘書官や番記者の回顧録によると、全国の陳情団が列をなし、田中邸のあった目白には毎朝数十台の黒塗り車が並んだといいます。「雪深い新潟の寒村を、新幹線とトンネルで東京と1時間半で結ぶ」という熱情は、豪雪地帯や地方の住民にとって長年の悲願を叶える救世主の声として響きました。
しかし一方で、公の場で見せた自信満々な表情の裏で、急速に膨張するマネーゲームへの危機感は後手に回りました。経済企画庁(現内閣府)などの当時の専門家からは「総需要を刺激しすぎれば激しいインフレが起きる」との警告が発せられていたものの、熱狂的な支持率と開発への期待感がブレーキを鈍らせました。地方住民の間でも、初期の歓迎ムードから一転して「土地成金」の出現によるコミュニティの分断や、急激な物価高への怨嗟の声がSNSのない時代にもかかわらず投書欄や週刊誌を埋め尽くす事態となったのです。