『ウィ・アー・ザ・ワールド』の構想は、黒人歌手・俳優のハリー・ベラフォンテが抱いた強い危機感から始まりました。1980年代前半、エチオピアをはじめとするアフリカ諸国は未曾有の大飢饉に見舞われていました。イギリスではボブ・ゲルドフを中心に「バンド・エイド」が結成され『Do They Know It's Christmas?』が成功を収めていましたが、ベラフォンテは「白人主導の支援だけでなく、アフリカにルーツを持つ黒人アーティスト自らが立ち上がるべきだ」と奮起したのです。
ベラフォンテから相談を受けた敏腕マネージャーのケン・クレイゲンは、自身がマネジメントを担当していたライオネル・リッチーやスティーヴィー・ワンダー、そしてクインシー・ジョーンズへ連絡。さらにクインシーを通じて、当時アルバム『スリラー』でポップスの頂点に君臨していたマイケル・ジャクソンが参画することになりました。
多忙を極めるマイケルとライオネルは、マイケルの実家であるエンシノの邸宅にこもり、寝る間を惜しんでメロディと歌詞を練り上げました。マイケルは「単なるチャリティ曲ではなく、何十年経っても人々の魂を揺さぶるアンセムにしたい」という強い執念を注ぎ込み、誰もが口ずさめるシンプルで力強いメロディを完成させたのです。
レコーディングの舞台に選ばれたのは、ロサンゼルスのA&Mスタジオ。録音日時は1985年1月28日、全米音楽界のスターが一堂に集まる「アメリカン・ミュージック・アワード(AMA)」の授賞式直後の深夜でした。クインシー・ジョーンズはスタジオの入り口のドアに、今や伝説となった一枚の貼り紙を掲げました。
「エゴはドアの外に置いておけ(Check your ego at the door)」
富も名声も極めたスーパースターたちがプライドを捨て、ひとつの目的のために肩を並べた奇跡の夜は、こうして幕を開けました。