出汁を取ったあとの昆布は、一見すると十分に水分を含んで柔らかくなっているように思えます。しかし、そのまま醤油や砂糖などの調味料と合わせて強火で煮詰めてしまうと、「噛み切れないほど筋っぽく固い佃煮」に仕上がってしまいます。これには、昆布特有の細胞構造と調味料の浸透圧が深く関わっています。
昆布の細胞壁は、食物繊維の一種であるアルギン酸やフコイダン、セルロースによって強固に結びついています。出汁を取る短時間の加熱では、表面のうま味成分であるグルタミン酸は溶け出すものの、細胞壁の強固な結合自体は壊れていません。この状態の昆布にいきなり塩分濃度の高い醤油や砂糖を加えると、脱水作用(浸透圧の働き)によって昆布内部の水分が一気に引き抜かれ、繊維がギュッと凝縮して固化してしまいます。
この問題を根本から解決する決定打が「食酢(お酢)」の投入です。酢に含まれる酢酸には、昆布の硬い細胞壁のペクチン質やアルギン酸の結合を緩め、加水分解を促進して組織を急速に軟化させる性質があります。調理科学の実験データでも、水だけで1時間煮込んだ昆布に比べ、水の量に対して2〜3%の酢を加えて下茹でした昆布は、約半分の時間で繊維の破断応力が低下し、とろけるような柔らかさに達することが実証されています。
下茹で段階でしっかりとお酢の酸を効かせて煮込むことで、その後に醤油やみりんなどの濃い調味料を加えても繊維が締まりにくくなります。加熱を続けるうちに酢の酸味成分は揮発するため、完成した佃煮にツンとした酸っぱさが残る心配はありません。むしろコクを引き立て、後味をすっきりと引き締める隠し味として機能します。