明治末期から大正期にかけて、国家レベルでの衛生行政改革が急速に進められた。その中心を担ったのが内務省衛生局である。同局は、経験のみに頼っていた従来の「取り上げ婆」を徐々に淘汰し、近代的な解剖学や消毒法を修めた公認産婆の育成と全国配置を強力に推進した。
この改革は、日本における医療史の重大な転換点となった。手洗いの徹底や洗顔用消毒液の携帯、体温測定といった基本的な衛生手技が現場に持ち込まれたことで、産褥熱の発生率は著しく低下していく。しかし、現場の高齢な産婆や地域住民からは「伝統的な方法を侮辱された」と猛反発が相次いだ。行政の強制力と現場の反発が渦巻く中、手作業による地道な技術改革と教育活動が、幾重もの困難を乗り越えて浸透していったのである。