文久3年9月18日(1863年10月30日)の夜、激しい雨が降る壬生村で凶行が決行されました。この日、新選組幹部は島原の角屋で芸妓を交えた大規模な酒宴を開き、芹沢や平山に浴びるほど酒を飲ませて泥酔状態に追い込みます。
宿舎である八木邸に戻った芹沢らは、それぞれの部屋で深い眠りにつきました。深夜、土方歳三、沖田総司、原田左之助、山南敬助ら精鋭の刺客集団が八木邸に侵入。土砂降りの雨音と雷鳴が、襲撃の足音をかき消しました。
奥の間にいた芹沢が急襲されるのとほぼ同時に、前川邸寄りの部屋で愛妾・吉栄と寝ていた平山五郎もまた、抜刀した刺客たちの一斉攻撃を受けました。泥酔していた平山ですが、神道無念流の達人らしく瞬時に異変を察知し、刀を手に取ろうともがいたとされています。しかし、完全な奇襲と暗闇の中、多勢に無勢の状況で太刀を振るう隙は残されていませんでした。