松永久秀が「戦国のボンバーマン」と称される最大の理由は、天正5(1577)年の信貴山城落城に際し、茶器「古天明平蜘蛛」に火薬を詰め、自ら頭部に火を放って爆死したというあまりにも有名な説話に由来する。織田信長が「平蜘蛛を差し出せば命を助ける」と交渉を持ちかけたにもかかわらず、久秀はその提案を拒絶。名器を信長の手に渡すことを嫌い、共に木端微塵となったとされるストーリーだ。
だが、この極めてドラマチックな最期は、同時代の一次史料にはいっさい記録されていない。太田牛一が記した『信長公記』や、当時の公家・天ノ屋などの日記を詳細に検証すると、久秀の最期は爆殺ではなく、城内での切腹、あるいは織田軍の鉄砲隊による凄まじい集中砲火であった可能性が高い。火薬を用いた自爆というセンセーショナルな演出は、後世の軍記物語『川角太閤記』などが語り継ぐ過程で脚色され、肥大化したイメージなのだ。