歴史上の八田與一(はった よいち)は、1886年(明治19年)に石川県金沢市で生まれ、東京帝国大学(現・東京大学)土木工学科を卒業後、台湾総督府の土木技師として渡った人物です。当時の台湾南部に広がる嘉南平野は、雨季には洪水、乾季には激しい干ばつと塩害に見舞われ、農民が極限の貧困に喘ぐ不毛の大地でした。
この荒野を豊かな農地へ生まれ変わらせるため、八田與一が立ち上げたのが烏山頭ダム(うさんとうダム)建設と「嘉南大圳(かなんたいしゅう)」と呼ばれる巨大灌漑網の敷設プロジェクトです。当時としては世界最高峰の土木技術である「セミ・ハイドロリック・フィル工法」を採用し、1920年から10年の歳月をかけて1930年に完成させました。
完成した給水路の総延長は約1万6000キロメートル(地球の約3分の1周分)に達し、約15万ヘクタールもの荒野が一夜にして緑豊かな大穀倉地帯へと生まれ変わりました。この画期的なインフラ整備によって、嘉南平野の農作物の収穫量は飛躍的に増大し、何十万人もの現地農民が飢餓や貧困から救われることになったのです。