作曲家として頂点を極めた村井邦彦は、1969年に音楽出版社「アルファミュージック」を、1977年にはレコード会社「アルファレコード」を設立しました。当時の日本の音楽業界はレコード会社専属作家制度が主流でしたが、村井邦彦は米国の先進的な音楽ビジネスに倣い、楽曲の著作権(出版権)と原盤権を自ら管理するインディペンデントなビジネスモデルを日本で初めて本格導入しました。
この先見的なプラットフォームから世に放たれた最大の才能が、当時まだ10代だった荒井由実(ユーミン)です。彼女のデモテープを聴いた村井邦彦は、その類まれなコード感覚と詩的センスを即座に見抜き、細野晴臣、鈴木茂、林立夫、松任谷正隆による伝説的バンド「キャラメル・ママ」をバッキングに起用。名盤『ひこうき雲』『MISSLIM』を生み出し、日本のニューミュージック界に一大革命を起こしました。
さらに1978年、細野晴臣、坂本龍一、高橋幸宏によって結成されたYMO(イエロー・マジック・オーケストラ)のプロデュースにおいては、村井邦彦のグローバルな人脈が爆発的な成果をもたらします。米国の名門レーベル「A&Mレコード」の創設者ハーブ・アルパートやプロデューサーのトミー・リピューマと直接交渉し、世界規模のディストリビューション契約を締結。ロサンゼルスのグリークシアター公演やワールドツアーを成功させ、日本のテクノポップを世界のポップス史に刻み込みました。