1944年(昭和19年)秋、フィリピン戦線において結成された陸軍初の特別攻撃隊が「万朶隊(ばんだたい)」でした。佐々木友次伍長はその隊員として選ばれ、機体の先端に触発信管付きの爆弾を装備した九九式双発軽爆撃機に乗り込むことになります。
佐々木氏が生還を果たせた最大の理由は、出撃前に隊長である岩本益四郎(いわもと・ますしろう)大尉から授かった密かな教えにありました。岩本大尉は出撃直前、部下たちに対して次のように告げていたのです。
「体当たりする必要はない。敵艦に爆弾を命中させて帰ってこい。何度も爆撃して敵を叩くのが真の航空兵の役目だ」
佐々木伍長は類まれな飛行技術の持ち主であり、急降下爆撃や爆弾を水面に跳ねさせて命中させる反跳爆撃の訓練を重ねていました。彼は「敵を撃破して生きて戻り、再び戦う」という軍人本来の目的に忠実であり続けました。第1回目の出撃となった1944年11月12日、レイテ湾の敵艦船群に対して見事に爆弾を命中させ、そのまま現地の飛行場へ帰投したのです。
その後も天候不良や機体トラブル、敵機との遭遇など極限の戦況下で冷静な判断を下し、無駄死にを拒否して機体を操縦し続けました。特攻隊員として9回出撃しながら生還できた背景には、卓越した操縦技術と状況把握力、そして「無意味に命を捨てない」という鋼の意志がありました。