パキスタン対バングラデシュの因縁!歴史的分断と経済逆転劇の深層

パキスタン対バングラデシュの因縁!歴史的分断と経済逆転劇の深層

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南アジアの近現代史を語る上で欠かせないのが、パキスタンとバングラデシュの歴史です。1947年のイギリス領インド帝国解体に伴い、イスラム教徒主体の国家として独立したパキスタンは、インドを挟んで約1,600キロメートルも離れた「西パキスタン(現在のパキスタン)」と「東パキスタン(現在のバングラデシュ)」という極めて特異な飛び地国家として出発しました。

しかし、宗教的一体感だけで国家を維持するには無理がありました。首都や軍部、官僚機構を独占した西側主導の中央政府は、人口の過半数を占めていた東側のベンガル人に対して激しい政治的・経済的差別を実施。とりわけ、東側の母語であるベンガル語を無視してウルドゥー語のみを唯一の国語と定めた言語政策は、激しい反発(言語運動)を引き起こしました。

東パキスタンが分離独立を選んだ理由は、言語の抑圧にとどまりません。東側が生み出すジュートなどの外貨収入の多くが西側のインフラ開発や軍事費に流用される構造的搾取が続き、1970年の大サイクロン被災時の救済遅れや、同年の総選挙で東側の「アワミ連盟」が全土過半数を獲得したにもかかわらず政権移譲を拒絶されたことで、決定的な破局を迎えました。

1971年3月、パキスタン軍が東パキスタンで強行した軍事弾圧「サーチライト作戦」を機に、バングラデシュ独立戦争の経緯は苛烈を極める泥沼の戦いへと突入します。民間人を含む数十万から数百万人規模の犠牲者と大量の難民を生み出した末、同年12月にインド軍が介入。第3次印パ戦争を経てパキスタン軍が降伏し、東パキスタンは「バングラデシュ(ベンガル人の国)」として悲願の独立を果たしました。

田中 結衣
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田中 結衣

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。