盤石に見えた大英帝国の孤立外交は、19世紀末から20世紀初頭にかけて急速に限界を迎えます。その引き金となったのが、欧州の国際秩序の激変と、イギリス自身の軍事的な躓きでした。
欧州ではドイツ帝国の名宰相ビスマルクが引退し、ビスマルク体制が崩壊。皇帝ヴィルヘルム2世による強硬な「世界政策(世界進出路線)」が始まると、ドイツは大規模な艦隊建設計画を推進し、イギリスの生命線である制海権を公然と脅かし始めました。さらにロシアとフランスが露仏同盟を結んだことで、欧州は二大陣営によるブロック化が進み、イギリスがバランサーとして介在する余地が縮小していきます。
決定打となったのが、1899年に勃発した南アフリカ戦争(ボーア戦争)です。オランダ系ボーア人国家を相手にしたこの戦争で、イギリス軍はゲリラ戦に大苦戦を強いられ、多大な戦費と兵力を消耗しました。さらに過酷な焦土作戦や収容所政策が国際的な猛反発を浴び、ドイツ、フランス、ロシアをはじめとする欧州列強から一斉に激しい非難を浴びることになります。
このときイギリスは、「栄光に満ちた孤立」が実のところ「危険極まりない四面楚歌の孤立」へ転落していた冷厳な現実に直面しました。軍事的余力の限界と国際的な孤立無援を痛感した指導層は、外交方針の根本的な見直しを迫られたのです。