歴史の教科書や古典の解説において、「中大兄皇子」と「天智天皇」の表記が混在し、両者の関係に疑問を抱く方は少なくありません。結論から言えば、両者は同一人物です。皇太子として権力を振るっていた時代を「中大兄皇子」、正式に即位した後の名前を「天智天皇」と呼びます。
西暦645年、中大兄皇子は中臣鎌足(のちの藤原鎌足)らと共に宮中で蘇我入鹿を討ち果たす「乙巳の変」を決行しました。ここから始まった大化の改新によって、豪族中心の政治から天皇を中心とする中央集権国家への大転換を推し進めます。
しかし、その歩みは平坦ではありませんでした。母である斉明天皇の崩御後、皇太子でありながら即位をせず政治を執る「称制(しょうせい)」を長く続けました。その間には、朝鮮半島へ大軍を派遣した「白村江の戦い」(663年)での手痛い敗戦を経験。防衛体制の再構築や近江大津宮への遷都を経て、668年にようやく第38代・天智天皇として即位しました。激動の国家運営を担った孤高のリーダーシップこそが、彼の残した歌の基底に流れる重厚な精神性を作っています。