お互いに惹かれ合って結ばれたはずの夫婦生活は、わずか5年後の1968年に離婚という結末を迎えます。二人が破局に至った背景には、表面的な性格の不一致にとどまらない、あまりにも深く悲痛な要因が重なっていました。
最大の要因とされているのが、子供を巡る悲劇です。結婚生活の中で島倉千代子は3度の妊娠を経験しました。しかし、年間に何百本ものステージをこなす過密日程、周囲からの激しいプレッシャー、そして歌手活動を最優先せざるを得ない当時の芸能界の構造によって、妊娠中絶や流産を余儀なくされました。
島倉千代子は後に自著『泣き笑い七変化』などの手記で、母となる夢を絶たれた絶望と、胎児への消えない懺悔の念を赤裸々に告白しています。彼女は失った我が子に「忍(しのぶ)」と名付け、小さな観音像を肌身離さず持ち歩き、生涯にわたって供養を続けました。女性として、母としての深い喪失感は、夫婦の間に修復不可能な溝を生じさせる決定打となりました。
さらに、藤本勝巳が1967年に現役を引退したことで、夫婦の力関係と生活リズムは激変します。現役時代の栄光から一転して次の一歩を模索する夫と、依然として第一線で歌い続ける妻との間で日常のすれ違いが加速し、二人は別々の道を歩む決断を下しました。