教科書などで広く知られる「1543年(天文12年)の鉄砲伝来」ですが、その背景には東アジア海域で激化していた大規模な密貿易ネットワークが存在していました。決して偶然の漂着劇だけで片付けられるものではありません。
当時、明(中国)は民間人の海外渡航や私貿易を厳しく禁じる「海禁政策」を敷いていました。これに反発した海商や海賊勢力(後期倭寇)が暗躍しており、その中心人物のひとりが明の商人・王直(五峰)でした。王直は東南アジアと日本を結ぶ拠点を模索しており、その船に商機を求めて同乗していたのが、アントニオ・ダ・モッタやフランシスコ・ゼイモトをはじめとするポルトガル商人だったのです。
船はシャム(現タイ)から明へ向かう航路の途中で激しい暴風雨に遭い、東シナ海を北東へと大きく流されました。漂着した地が、大隅諸島に位置する種子島南端の門倉岬(小浦・現前之浜)でした。
種子島は当時から明や琉球、本土を結ぶ海上交通の要衝であり、異国の船が寄港すること自体は珍しい光景ではありませんでした。しかし、この船が運んできた積み荷こそが、日本の運命を塗り替えることになります。当時わずか16歳だった若き島主・種子島時尭(たねがしま ときたか)は、異国人が見せた未知の兵器の実演に驚愕し、即座に大金を投じて2挺の火縄銃を買い取りました。この英断が、日本における鉄砲史の幕開けとなったのです。