日本における撃墜王論争の中心にいるのが、世界的な知名度を誇る坂井三郎と、驚異的な撃墜記録を遺稿に残した岩本徹三の2人です。
坂井三郎は台南海軍航空隊のエースとしてフィリピン、ジャワ、ガダルカナルで数々の武勲を立てました。自著『大空のサムライ』では撃墜数64機とされ、空戦のリアルな描写とともに世界各国で翻訳出版されました。しかし、日米双方の戦闘詳報を突き合わせたヘンリー・サカイダ氏をはじめとする戦史研究者の調査では、確実に確認できる単独撃墜数は28〜30機前後と推計されています。数字の乖離が指摘される一方で、1942年8月7日のガダルカナル上空で米軍ドーントレス急降下爆撃機の集中射撃を受け、頭部重傷と右目失明という瀕死の重傷を負いながら、約1,000キロ離れたラバウルまで4時間以上操縦を続けて帰還した精神力と操縦技術は、現代の航空医学・軍事史の観点からも奇跡と称賛されています。
一方、「零戦虎徹」の異名をとった岩本徹三は、日中戦争から太平洋戦争終戦まで第一線で戦い抜いた生粋の戦闘機乗りでした。戦後に遺した私信やノートには、単独・共同合わせて202機撃墜という驚愕の数字が克明に記録されています。日本海軍が公式な個人記録を抹消していたため、公的資料に基づく確定値は約80機前後とされていますが、昭和18年末から19年初頭のラバウル防空戦における彼の戦術眼は際立っていました。大編隊で襲来する米軍機に対し、高度優位から単機または少数機で急降下反撃を浴びせ、すぐさまスコールに身を隠す変幻自在の迎撃を指揮し、圧倒的劣勢の戦局を支え続けました。