「園城寺」と「三井寺」という2つの呼び名が存在することに疑問を抱く参拝者は後を絶ちません。結論から言えば、この2つは完全に同一の寺院を指しています。正式名称が長等山園城寺であり、三井寺は広く親しまれている別称・通称です。
では、なぜ三井寺と呼ばれるようになったのでしょうか。その起源は飛鳥時代にまで遡ります。寺の草創に関わった天智天皇・天武天皇・持統天皇の三代にわたる天皇が生まれた際、その産湯として境内の霊泉が用いられました。この神聖な泉は「御井(みい)」と尊称され、やがて「御井の寺(みいのてら)」と呼ばれるようになります。これが転じて「三井寺」という呼称が定着しました。金堂の西側には今も清らかな水を湛える「閼伽井屋(あかいや)」が現存し、格子越しに湧き出る霊水の水音を聞くことができます。
一方で、正式名称である「園城寺」の歴史も極めて重厚です。672年の壬申の乱で敗れた大友皇子(弘文天皇)の皇子である大友与多王が、父の菩提を弔うために自らの「荘園城邑(しょうえんじょうゆう)」を投げ打って寺を建立しました。天武天皇から「園城」の勅額を賜ったことが、園城寺という寺号の始まりと伝えられています。歴史の勝者と敗者の因縁が交錯する地に築かれ、天皇の産湯の記憶を宿す場所――それが園城寺(三井寺)の原点です。