落語立川流の歴史は、破門と脱退の歴史と言っても過言ではない。事の発端は1983年、真打昇進試験制度をめぐる落語協会最高幹部との激しい対立だった。芸の巧拙ではなく年功序列で真打を決める旧態依然とした体制に激怒した談志は、自ら弟子を引き連れて脱退。「落語立川流」を創設し、真打昇進には「古典落語50席の習得」「歌舞音曲(都々逸・小唄・踊り)のマスター」「上納金の納付」という厳格な基準を設けた。
だが、身内に向けられた刃はさらに鋭かった。2002年、前座審査の基準に満たなかった弟子たちに対して下された「全員破門」の通告は演芸界に激震を走らせた。師匠の逆鱗に触れれば、昨日までの前座身分すら剥奪され「前座見習い(新聞配達などの雑務係)」へ降格、あるいはそのまま一門を去ることを余儀なくされたのである。
理不尽とも思える厳罰主義の根底にあったのは、「落語で飯を食う覚悟がない者に看板は背負わせない」という談志の苛烈な美学だった。ふるい落とされた者たちの挫折と、地獄の底から這い上がってきた者たちの矜持が、立川流の純度を極限まで高めたのは紛れもない事実だ。