「車が急にパンクした」「土砂崩れで通行止めになり辿り着けなかった」——こうした偶然のトラブルを「玉置の神に拒まれた証拠」と解釈する風潮が、ネット空間にはびこっている。健常な状態であれば「単なる不運」として片付けられるアクシデントも、自己肯定感が底をつき、藁にもすがる思いで聖地を目指した精神疾患の患者にとっては、致命的な心理的打撃となり得る。
「自分は神仏にすら見捨てられるほど穢れた存在なのだ」という破滅的な認知の歪みは、病的な自責感をさらに肥大化させる。十津川の山道はそもそも地盤が脆弱で、天候不順による落石や工事による通行規制が日常茶飯事の地域だ。機械的な故障や気象条件を自己の存在否定へと短絡させてしまう心の脆さこそが、このキーワードの背後にある最も危うい暗部と言えるだろう。