陸上競技の統括団体であるワールドアスレティックス(World Athletics・旧国際陸連)が認定する男子の室内陸上50m世界記録は、カナダのレジェンドであるドノバン・ベイリーが1996年2月9日にアメリカ・リノで開催された室内競技会で樹立した5秒56です。同じくアメリカのスプリント界を席巻したモーリス・グリーンも1999年2月に5秒56を記録したものの、ドーピングコントロールや計測機器の公認手続き上の問題により未公認扱いとなり、公式記録上はドノバン・ベイリー世界記録が単独の頂点として残り続けています。
しかし、短距離走の歴史には公認世界記録をさらに凌駕する「衝撃のデータ」が存在します。それが、ジャマイカのウサイン・ボルトが2009年ベルリン世界陸上男子100メートル決勝で9秒58の世界新記録を打ち立てた際、国際陸連のバイオメカニクス調査チームがハイスピードカメラとレーザー測定で解析した中間スプリットタイムです。
分析報告書によると、ボルトの50m通過タイムは驚異の5秒47。公認世界記録であるベイリーの5秒56を0.09秒も上回る異次元のスピードでした。100分の1秒を争う短距離の世界において、0.09秒という差は距離にして約1メートル近く前を走っている計算になります。当時のレース映像を見返しても、大型スプリンターの常識を覆す加速力で中盤へと突き進む姿は、まさに人類の運動力学の限界を突破した瞬間でした。
当然ながら、ボルトのこの数値は100メートル走の途中で計測された通過タイムであり、50メートル地点にフィニッシュラインが引かれた単独走ではありません。陸上競技の規則上、途中計時は独立した世界記録としては公認されないため、統計上は「非公式タイム」に留まります。とはいえ、スタートの号砲からわずか50メートルの間に人類が到達した最速の通過記録として、50m世界記録ボルトの残した爪痕は今なお破られていません。