1930年、ハリウッドの映画会社パラマウントと契約を交わしたエイゼンシュテインだったが、アメリカでの制作はことごとく挫折した。保守的なスタジオ幹部らは彼の前衛的な手法と政治思想を嫌悪し、出資した企画を次々とストップさせたからだ。失意の底にあった彼を救ったのは、共産主義運動に深い理解を示していたリベラル派の米作家アップトン・シンクレアだった。
シンクレアら出資者の支援を得たエイゼンシュテインは、共同監督であり同志でもあったグリゴリー・アレクサンドロフ、そして撮影監督のプロコフィエフら少数精鋭のスタッフを引き連れてメキシコへと渡った。サイレント映画の黄金期が終焉を迎え、トーキーへと移行する境目で、彼らは一切の商業的制約から解放された完全なる芸術的自由を求めていた。