現役を退いた後も、彼のクレー射撃に対する情熱が冷めることはなかった。自ら日本クレー射撃協会会長に就任すると、競技の認知度向上と若手選手の育成に心血を注いだ。マイナースポーツと捉えられがちだった現場環境を改善するため、自営の事業や政治力だけに頼るのではなく、現場のコーチ陣や選手と膝を突き合わせた議論を重ねたという。
会長職を務めた長年の経験の中で、彼が重視したのは「結果を出した者が報われる正当なシステム」の構築だ。忖度なしのシンプルな評価構造を組織内に根付かせようとした姿勢は、競技界のみならず多方面から高い評価を得た。