カズオ・イシグロ作品に共通する最大の技法が、語り手自身の証言が歪んでいる「信頼できない語り手(Unreliable Narrator)」です。本作における衝撃の結末と真相を紐解きます。
原作の終盤、読者は背筋が凍るような決定的な「語りの綻び」に直面します。長崎時代、佐知子が娘の万里子を無理やり連れてアメリカへ旅立とうとする川辺のシーンで、悦子の回想内に決定的な主語のすり替えが発生します。
悦子は万里子を説得する際、「向こう(外国)が嫌なら、いつでも戻ってくればいいのよ」と語りかけます。客観的な第三者であるはずの悦子が、まるで自分自身が万里子の母親であるかのように「私たち(We)」という意識で語ってしまうのです。
この描写によって明かされる真相は極めて衝撃的です。「奔放で娘をネグレクト気味に扱い、米兵について国を捨てた佐知子」という存在は、悦子自身が自らの罪悪感を希釈するために無意識に捏造・投影した別人格の幻影だったのです。
実際には、悦子自身が伝統的な日本社会と前夫を捨て、長女の景子を無理やり英国へと連れ出しました。その結果、異国に馴染めず孤独の中で自殺してしまった景子に対する耐え難い悔恨と罪悪感。それに押し潰されそうになった悦子の心が、「子どもを犠牲にして国を捨てたのは、私ではなく近所にいた佐知子さんだった」という記憶の防衛機制を作り上げていたのです。