アメリカ挑戦を断念した岡山は、その情熱のすべてを日本リーグと日本代表へ注ぎ込みました。住友金属スパークスの中心選手として、リーグ優勝に大きく貢献。個人タイトルにおいても新人王、MVP、得点王、リバウンド王、ブロック王など主要タイトルを総なめにし、国内のインサイドを完全に支配しました。
また、バスケットボール男子日本代表(アカツキジャパンの前身)の不動のエースセンターとしても長年君臨。アジア競技大会やFIBAアジア選手権などで中国や韓国の巨漢センターたちと激闘を繰り広げ、日本のゴール下を死守し続けました。1996年に惜しまれつつ現役を引退するまで、彼がコート上で放った威圧感とハイポストからの巧みなパスワークは、対戦相手にとって最大の脅威であり続けました。