箸墓古墳の目と鼻の先に広がる纏向遺跡。こここそが倭国の首都、すなわち邪馬台国の中心都市であったことを示す証拠が次々と見つかっている。全国各地から持ち込まれた外来系土器の多さは、この地が日本列島各地を結ぶ一大ネットワークの要衝であった証にほかならない。
魏志倭人伝に記された「宮室、楼観、城柵を厳しく設く」という都の描写。纏向遺跡で検出された大型掘立柱建物群の配列は、まさにその記述を裏付けるかのような整然とした都市計画を示している。さらには東海や吉備、出雲といった遠方の土器が約3割を占める点も、諸国を統率した邪馬台国の連合政権像と見事に一致する。