三陸沿岸は、過去に幾度となく壊滅的な津波被害に見舞われてきました。1896年(明治29年)の明治三陸地震津波では約2万2,000人、1933年(昭和8年)の昭和三陸地震津波では約3,000人もの尊い命が失われています。
これらの災害調査で明らかになったのは、家族を探しに自宅へ戻ったり、逃げ遅れた身内を助けようとしたりして、結果的に「一家全員が津波に呑まれて全滅した」というあまりにも悲痛な現実でした。誰かを助けようとする優しい心が、連鎖的な犠牲を生み出していた事実があります。
「お前も逃げろ、私も逃げる。だから高台で必ず生きて会おう」。互いを信頼してそれぞれが全速力で避難すれば、誰も犠牲にならず家族全員が助かる道が残されます。津波てんでんこは、家族を見捨てる言葉ではなく、「家族の命を一人たりとも失わせない」という血の滲むような誓いから生まれた知恵なのです。