ピコ太郎の爆発的ブレイクは、決して偶然の産物ではありませんでした。その根底には、古坂大魔王が四半世紀にわたって積み重ねてきたお笑い芸人としての苦悩と、音楽家としての執念が存在します。
古坂大魔王は1992年、お笑いトリオ「底ぬけAIR-LINE」のメンバーとして芸能界デビューを果たしました。1990年代中盤の伝説的ネタ番組『ボキャブラ天国』ブームにおいて、彼らはアクションとテンポの良さを武器に一世を風靡します。しかし、番組ブームの終息と共にお笑い界は急速にネタ番組からひな壇トークバラエティへと構造変化を遂げ、底ぬけAIR-LINEはテレビ露出の激減という厳しい現実に直面しました。
くりぃむしちゅーの上田晋也や爆笑問題の太田光など、同業のトップ芸人たちが口を揃えて「楽屋で一番面白い男」「天才」と絶賛しながらも、世間的なブレイクには恵まれない不遇の時代が長く続きます。そんななか、古坂が活路を見出したのが「お笑いと本格派ダンスミュージックの融合」でした。
底ぬけAIR-LINEの活動休止後、音楽ユニット「ノーボトム!(後にNBRに改名)」を結成した古坂は、エイベックスに所属して本格的なクラブミュージックやゲーム音楽の制作に没頭します。mihimaru GTやAAA(トリプル・エー)といったメジャーアーティストの楽曲リミックス、鈴木亜美の楽曲プロデュースを手掛けるなど、音楽プロデューサーとしてのキャリアを着実に構築。PPAPで炸裂したRolandの名機「MC-505」から生み出された中毒性の高いトラックメイク技術は、この20年以上にわたる地道なDTM(デスクトップミュージック)制作の賜物だったのです。