『君が代』は明治時代に突然作られた歌詞ではなく、平安時代初期の西暦905年に編纂された勅撰和歌集『古今和歌集』巻七「賀歌(お祝いの歌)」の巻頭に収録された和歌が直接のルーツです。
『古今和歌集』に記された原歌は以下の通りです。
「我が君は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで」(巻七・賀歌・三四三/読人しらず)
初句が「君が代は」ではなく「我が君は」となっています。作者は「読人しらず(作者不明)」となっており、もともとは民間や貴族の宴席で、大切な人の長寿や還暦・四十の賀などの長寿祝いの席で広く歌われていた民謡的な祝歌だったとされています。
「君が代は恋の歌だった」という説が浮上する背景には、平安時代の『古今和歌集』やその後の『和漢朗詠集』における言葉の使われ方が関係しています。当時は愛する男性や女性、あるいは敬愛する主人など、「心を通わせる特定の相手」への親愛の情を詠む際に「我が君」という表現が多用されていました。清少納言の『枕草子』や『源氏物語』などの古典文学でも、宴の席で互いの長寿を寿ぎ、愛情や友情を確かめ合う場面でこの歌が引かれています。
鎌倉時代から江戸時代にかけて、この和歌は「君が代は」へと変化しながら能楽、狂言、浄瑠璃、薩摩琵琶、さらには盆踊りの唄に至るまで、庶民の間で祝い事の定番フレーズとして日本全国に浸透していきました。