「ナスを切ったらすぐ水に浸ける」という手順は、もはや絶対の鉄則ではありません。食品化学の視点から見ると、ナスのアク抜きが不要な理由は極めて明確です。現在スーパーや青果店に流通しているナスの大半は、品種改良によってかつてのような強い渋みや苦味(えぐみ)が大幅に低減されています。採れたての新鮮なナスであれば、そもそもアクを感じる要因そのものが極めて微量なのです。
下処理の要否を分ける決定的な基準は、ズバリ「加熱に油を使うかどうか」と「仕上がりの味付けの濃さ」にあります。特にナスのアク抜きと炒め物・揚げ物の相性を検証すると、水にさらす行為自体がむしろマイナスに働くケースが珍しくありません。ナスを油で炒めたり素揚げにしたりする場合、油膜が果たすコーティング作用によって空気が遮断され、黒ずみの原因となる酸化酵素の働きが即座にストップします。さらに、油のコクと高温調理によって苦味成分がマスキングされるため、わざわざ水にさらしてアクを抜くメリットがほぼ存在しないのです。
一方で、アク抜きが欠かせない場面も確かに存在します。例えば、ナスを薄切りにしてそのまま食べる浅漬けやサラダなどの生食、あるいは出汁の色を濁らせたくない上品な翡翠煮(ひすいに)や白味噌仕立ての味噌汁などです。水や出汁だけでじっくり煮る料理では、切り口から滲み出たアクが出汁を濁らせ、淡白な風味を損なう原因になります。つまり、「何を作るか」によって下処理のスイッチを切り替える柔軟性こそが、現代のキッチンにおいて最も求められる知恵といえます。