伊達みきおさんがお笑いの道を志した際、最も高い壁として立ちはだかったのが、厳格なサンドウィッチマン伊達の家柄と家族の反対でした。
伊達家は、祖父が裁判官、曾祖父が東京帝国大学(現・東京大学)を卒業した官僚・法曹関係者、父も金融機関の幹部を務める絵に描いたような堅物一家です。宮城県泉市(現・仙台市泉区)の実家では、幼少期から礼節や言葉遣い、家の名誉について厳しく躾けられて育ちました。それだけに、安定した福祉関連の会社を辞めて「お笑い芸人になる」と宣言した際、父親からは勘当同然の猛反対を受けたといいます。
当時、伊達みきおさんはある重大な決断を下します。仙台藩伊達家の現当主である第34代当主・伊達泰宗氏のもとへ直接挨拶に出向いたのです。
「伊達の名を使って芸人をやらせていただきます。決して悪名は立てません」と頭を下げたみきおさんに対し、泰宗当主は「名乗りたいなら、その名に恥じないよう精一杯やりなさい」と温かく背中を押したと伝えられています。この正式な挨拶とお墨付きがあったからこそ、彼は後戻りのできない覚悟を持って東京の厳しいお笑い界へと飛び込むことができたのです。
2007年の『M-1グランプリ』で敗者復活枠から奇跡の優勝を成し遂げた瞬間、誰よりも喜び涙を流したのは、かつて猛反対していた父親と地元・仙台の人々でした。名門の重圧を跳ね除け、自らの力で「伊達」の名を全国区の愛される存在へと押し上げた瞬間でした。