小野田少尉の潜伏生活は、穏やかな隠遁生活とはかけ離れた、日常的な生命の危機と隣り合わせの軍事行動でした。当初は赤津勇一等兵、島田庄一伍長、小塚金七上等兵の計4名で行動していましたが、1949年に赤津一等兵が投降、1954年には島田伍長がフィリピン警察隊との銃撃戦で戦死します。
さらに1972年10月には、27年間苦楽を共にした小塚上等兵が警察隊に撃たれて命を落とし、小野田少尉は完全に一人きりとなりました。戦友を失った激しい悲痛を抱えながらも、彼はレーダー基地への偵察や放火、通信線の切断など、軍事工作を継続しました。
一方で、ルバング島現地の真実には影の側面も色濃く存在します。小野田グループは自給自足のために現地住民の家畜や農作物を調達し、発見された際には銃撃戦に発展。現地住民や警備隊に多数の死傷者を出したことは歴史的な事実です。現地住民にとっては「平和な島を脅かす恐怖のゲリラ」でもあり、この複雑な現実が生還後も深い傷跡として残ることになります。