寿町が現在の街並みを形成するに至った背景には、戦後横浜の復興史と深く結びついた横浜市中区寿町 歴史があります。歴史の歯車が大きく動いたのは、太平洋戦争終結後の米軍による接収でした。
第二次世界大戦後、寿町一帯は米軍に接収され、軍用車両の駐車場や資材置き場として利用されていました。1955(昭和30)年以降に段階的な返還(接収解除)が行われた際、焼け野原となっていたこの土地に、横浜市内の不法占拠地域から移転させられた人々や、港湾荷役に従事する単身男性労働者向けの簡易宿泊所が集中的に建設されました。これが、寿町 なぜドヤ街になったのかという疑問に対する歴史的起源です。
高度経済成長期を迎えると、京浜工業地帯の発展と横浜港の拡張に伴い、全国から職を求める出稼ぎ労働者が流入しました。「ドヤ(宿)」と呼ばれる3畳一間の簡易宿所は、保証人不要で日払い・前払いで泊まれることから、流動的な単身労働者のセーフティネットとして機能しました。最盛期には活気にあふれ、路上での青空市や飲食店がひしめき合っていましたが、バブル崩壊と公共事業の縮小によって労働市場が急速に冷え込み、街は雇用の場から生活困窮者の受け皿へと役割を変えていきました。