東京都農林水産振興財団や江戸東京野菜推進委員会の記録によると、のらぼう菜(野良坊菜)は江戸時代、天明の大飢饉(1782〜1788年)や天保の大飢饉(1833〜1837年)において、過酷な寒冷期にも青々と育ち、多くの庶民の命を救った「救荒作物」としての歴史を持ちます。多摩地域の代官であった関東郡代・伊奈半左衛門忠順が種子を配り、栽培を奨励した記念碑が現在も東京都あきる野市の阿伎留神社などに残されています。
西洋アブラナ(ブラッシカ・ナパス系)の変種に分類されるのらぼう菜が、一般的な菜花(和種アブラナ)と決定的に異なるのは、アブラナ科特有の苦味や強い刺激臭を生み出す配糖体「グルコシノレート」の含有量が極めて低い点にあります。さらに、冬の厳しい寒さに耐える過程で自らの水分が凍結するのを防ぐため、デンプンを糖化させて細胞内に蓄える「寒締め」のメカニズムが働きます。これにより、春先の収穫期(2月下旬から4月中旬)には、茎の糖度が一般的なキャベツやブロッコリーを上回る糖度7〜9度前後に達し、フルーツトマトに匹敵する自然な甘みが生み出されます。
「江戸東京野菜 のらぼう菜 旬の時期」のピークとなる3月から4月上旬にかけては、トウ(花茎)が勢いよく伸び、繊維が柔らかく最もジューシーな状態を迎えます。苦味がないため、子どもから高齢者まで世代を問わず親しまれる理由がここにあります。